設計は当時の建築業界の先達であり、名古屋における近代建築の開祖とされる鈴木禎次(昭和16年没)が手がけ、昭和6年着工、翌年3月に竣工。当時の徳島市における鉄筋コンクリート造の建物といえば徳島県庁、徳島市役所、銀行、百貨店のみで民間にあってはこの建物が初めてでありました。昭和20年、徳島大空襲で市内一円焼土と化したが、当建物は当時では珍しかったドイツ製亀甲網入の窓ガラスのおかげで、一階の一部を除き戦火を免れました。窓ガラスは戦災時の大火による熱割れ、縦横に亀裂が走るなど戦争の悲惨さと凄まじさを今も伝えています。空襲の生き証人という歴史的な「物語」を持つビル内の一室をギャラリーとして公開することで、歴史の重みや建物の味わいを楽しみながら、人々に活用していただきたいと考えます。
設計は当時の建築業界の先達であり、名古屋における近代建築の開祖とされる鈴木禎次(昭和16年没)が手がけ、昭和6年着工、翌年3月に竣工。当時の徳島市における鉄筋コンクリート造の建物といえば徳島県庁、徳島市役所、銀行、百貨店のみで民間にあってはこの建物が初めてでありました。昭和20年、徳島大空襲で市内一円焼土と化したが、当建物は当時では珍しかったドイツ製亀甲網入の窓ガラスのおかげで、一階の一部を除き戦火を免れました。窓ガラスは戦災時の大火による熱割れ、縦横に亀裂が走るなど戦争の悲惨さと凄まじさを今も伝えています。空襲の生き証人という歴史的な「物語」を持つビル内の一室をギャラリーとして公開することで、歴史の重みや建物の味わいを楽しみながら、人々に活用していただきたいと考えます。